
どうすればこのような子たちとも信頼関係を築くことができるんだろうか。
いい方法はないかな。
このようなお悩みにお答えします。
こんな方におすすめ
- 現在、学級経営に悩んでいる
- 子どもと信頼関係が上手く築けない
- 手のかかる子への関わり方を知りたい
- 臨床教育学に興味がある
学級担任をしていると毎年悩みの種になるのが、手のかかる子ではないでしょうか。
教師に反発したり周りの子と常にトラブルを起こしたりすると、毎日気が気でなく本当に心も疲れてきますよね。
そこでなんとかしようと思い、このような子への対応や指導が書かれた本、ネット記事を読んで試してはみたものの、なかなか上手くはいかない。
私自身も様々な本やネット記事などから対応や指導法を学びましたが、「これだ!」と思うものに出会うことはあまりありませんでした。
しかし、そんな私でもある書籍に出会い、上手く関係が築けなかった子との関わり方を少しずつ改善できるようになってきました。
その書籍が本記事の元にもなっている
『臨床教育学入門』
です。
本書は京都大学名誉教授である河合隼雄さんが臨床教育学教授時代の経験や考え方を『臨床教育学入門』としてまとめたものです。
臨床教育学入門という少し難しい名前ではありますが、内容としては一般的な学問の入門書ではなく、教育現場に寄り添った非常にわかりやすく、共感しやすい内容となっています。
これから教育を作り上げていこうとする人に対する一つの入り口にもなっているので、興味のある方は本書もチェックしてみてください。
本記事では、その入門書の中から特に学級経営で役に立つと思われた内容を厳選し、私の経験も踏まえながらまとめました。
今、学級経営に悩んでいる、子どもと信頼関係を上手く築きたいと強く思われている方に読んでいただけると幸いです。
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そもそも臨床教育学とは??
「臨床教育学」という名の講義が日本で初めて京都大学教育学部に設置されたのは1987年のことでした。
そしてこの講義の最初の教授となったのが
河合隼雄さん
です。
臨床教育学の必要性は、極めて現実的なところから生じました。
いじめや不登校を始め、教室で騒ぐ子や逆に一言も話をしない子、平気で嘘をつく子に対する対応や保護者との関係など、現場では非常に多くの問題が山積みとなっています。
このような問題にどう考え、どのように対応していくといいのか、そのようなことから出発したのです。
教育には、教育学という大変立派な学問が存在します。
しかし皆さんも実感されているように、先に挙げたような問題への解決には直接的には役立ちにくいところがあります。
近年では教育の場も科学的に捉えようとする動きも出ています。
客観性・普遍性・論理性のもと子どもたちを見極め、客観的観察や知能検査によって原因を捉える。
良い面も確かにありますが、科学に振れすぎると、教師のラベリングによって子どもの潜在的な能力や才能を発現される機会が抑えられることも大いにあります。
そこで、現象や事象に対する客観的な観察者ではなく、その現象の中に自分が入り込んでいくことを前提とした学問の構築を考えました。
そしてより現場との関係を密接にし、極めて具体的な問題や事象を取り上げて、その解決方法をともに考えようとしたのが臨床教育学でした。
臨床教育学で大切な考え

臨床教育学の特徴として挙げられるのがなんといっても
「個」を大切にする
です。
教育というとどうしても何かを教えるという点に力を入れてしまいます。
学級の子どもを全体として捉え、効果的、効率的に教えることを第一にしてしまう。そこから落ちていく子に対しても注意を払うが、救いきれないのは仕方ない。
そのように日々が流れていることも多いのではないでしょうか。
臨床教育学では、全体での指導や学習に自分ではどうしてもついていけない子に対して徹底して目を向けます。
そのような子に対して、教師とその子の関係や学級との関係、友達同士の関係の中に目を向け、改善を図ります。
徹底して個に目を向け、個を大切にする。
ここがスタートになります。
そもそも日本の教育ってどんな考え??


このように思われた方もおられるはずです。
臨床教育学で目指しているものと今日本で行われてる一般的な教育はどのような点で異なっているのでしょうか。
そもそも今私たち日本で行われているのはどのような教育方法なのか確認していきましょう。
日本的つながり・個について
そもそも個に対する考えや他者との関係性において日本と欧米では大きく異なります。
欧米人は個々の人が他と分離された個人として存在し、その個人と個人が関係を持つという認識です。
一方で日本人は周りとの関係が先にあり、その関係性の上に個人という存在を作り上げようとします。
つまり日本人にとってはつながりが第一と考えます。
つながり第一の日本人にとって一番の危険は、他でもない集団からの「孤立」です。
そのため日本人は何か他と異なることを徹底的に嫌い、避けようとします。
これは教育の場にも見られます。
教育において欧米では個人に注目し、個人差の存在を前提に考える(北欧では学力が到達していない場合小学校においても進級できない)のに対して、日本では、同学年の子どもたちを全体と捉え、基本的には平等に扱おうとします。
※北欧では学力が到達していないのに先に進めてしまうことこそ、その子にとってよくないと捉えるのに対して、日本ではみんなに同じ教育を受けさせないことがよくないと考える。
教育の中にある2つの原理
しかし近年では、個人主義の波が日本にも押し寄せ、少しずつ欧米の考え方も入ってくるようになりました。
個人を大切にする考えは教育の場でも広がってきていますが、現場ではきっと多くの混乱が生じているのではないでしょうか。
それは、先にも挙げたように日本には全体を大切にする文化が根付いているからです。
とはいっても教育も変わっていかなければいけません。
個人と全体、この2つをどのように舵取りしていけばいいのでしょうか。
そこで状況を整理するため、ここで2つの原理で現状を捉えてみましょう。
2つの原理とは
父性原理・母性原理
と呼ばれるものです。
それぞれについて以下の表にまとめました。
| 父性原理 | 母性原理 | |
| 機能 | 切る | 包む |
| 目標 | 個人の確立
個人の成長 |
場への所属
場の平衡状態の維持 |
| 人間観 | 個人差の肯定 | 絶対的な平等感 |
| 序列 | 機能的序列 | 一様序列性 |
| 人間関係 | 契約関係 | 一体感 |
| コミュニケーション | 言語的 | 非言語的 |
| 責任 | 個人 | 場 |
表のそれぞれの解説は本書を読んでいただければと思います。
ポイントを絞って伝えるならば、父性原理では個人差の存在を肯定するのに対し、母性原理では、その場(学級など)に属する限り平等に扱います。
組織では全体の運営のためにもメンバーに序列をつける必要がありますが、この点もそれぞれの原理で異なります。
父性原理の場合は能力によって差がつき、序列が生まれるのに対し、母性原理の場合は年齢や所属の年数によって序列が生まれます。
欧米の企業は能力によって年収や役職が上がるのに対して、日本では今なお年功序列によって年収や役職が決まっている現状からもわかるように、日本は母性原理優位の社会であることがわかるはずです。
教育現場における父性原理・母性原理
先ほど述べた序列について、教育現場で、特に私たちが認識しておかなければならないのが母性原理の一様序列性です。
教育の場では、ここに能力による序列が入ってきます。
そうすると、どうなるか。
子どもたちは学業の成績によって一様に序列づけるということが行われます。
一様序列性の中に能力による序列を取り入れてしまうと、テストの点数によって組織内の序列・カーストが生み出されることになります。
そうなると、子どもたちもテストの結果で評価されるので、学習の場において前もって与えられた正解にできるだけ早くたどり着く作業に全エネルギーを注ごうとします。(まさに正解ばかりを求める日本型の教育です)
この一様序列の競争に疲れた子やついていけないと感じる子は、反発をするか、無関心になり学校に行く興味を失うことになります。
学級での序列の他にも、所属という点でも母性原理が働いています。
母性原理の社会では機能として「包む」ということを記しましたが、全てを完全に包むわけではありません。
この「包む」という機能は、ある限定された範囲の中で一体感は持つものの、その範囲に属さないものに対しては赤の他人として扱い、何をしようと放っておく傾向があります。
これを学級に当てはめた時、昔でいうところの学級王国は極度な母性原理が働いていると見ることができます。
この「包まれた」範囲に所属するためにはある程度自分を押し殺す必要が出てきます。(自分を強く出しすぎることで範囲外に出てしまう可能性があるため)
そのような自分を殺した状態の中で過ごす子どもたちは、鬱屈した感情を溜め込んでいくため、その感情の吐口としていじめや暴力につながることになります。
日本の教育を支える「精神教育」とは

日本教育の根幹にあるのはなんといっても「精神主義」の教育です。
子どもへの教育において精神を鍛えることが重要視されている点は昔からあまり変化していません。
受験勉強やスポーツの厳しい練習(見るからに理不尽なものや非効率的なもの)に耐えること、苦しみ抜くことが評価されます。
そもそも、この日本人が考えてきた精神主義の教育というものは、まだ物が乏しく現実的に耐え抜かなければいけない生活を多くの人が余儀なくされていた時代のものであるため、高度経済成長を迎え、急激に豊かになっていった日本では、物が豊かにある時の精神や教育についてはしっかりと考えられないまま、昔の流れを受け継ぎながら今に至ると思われます。
また、この耐え抜く教育には、日本の芸能における易行の考えも強く影響しています。
茶道や華道をはじめ日本の芸は、正しい型を身につけることで誰でも一定のレベルに達することができると考えられており、できるかできないかは努力の差によるものだと判断します。
ここには個人差を認めない絶対的な平等感が存在します。
この易行の考え方は教育の場にも深く入り込んでいます。
例えば、漢字の書き取りや計算ドリルに時間を使い、同じことを反復させている状況はまさに易行です。
そして与えられた課題を十分にこなすことができず、学習についていけないものは「努力が足りない」「怠けている」と見なされやすく、そのため能力が低いものは、そのことだけで人格的な評価まで低くなってしまいます。
この易行教育は、子どもの個性を潰してしまう作用があり、ここに能力別の一様序列性も加わると、創造性の高い子ほどシステムにはまりにくくなり、不登校や学習放棄につながっていきます。
生徒指導にも広がる易行教育
生徒指導においても易行の教育が大きく反映されています。
スカートの長さを厳しく規定したり、髪型を極端に限定したりすることは、「型」を厳しく守ることによって誰でも良い子(教師から見て)になれるという考えが根底にあります。
「型」にはめようとして、子どもに押し付けると、それに対する反発があるのは当然です。
本来ならばここの生徒の個性を尊重すべきですが、当たり前のように型にはめ込んでしまっているのが日本の教育なのです。

このように思いますよね。
そこで大切なのは、まずは教師として自分がしていることの意味を知り、子どもの置かれている状況やその様子を把握することです。
その上で、父性原理、母性原理の考えをその時その場で使い分けていく必要があります。
きまりや規則と独自性について
生徒指導にも易行の教育が当てはまると言いましたが、だからといって規則やきまりが全くもって必要ないのかというとそうではありません。
靴下の色は白と決められているのに赤を履いてきたり、音楽の時間に平気で漫画を読んだりすることが個性と呼んでいいのでしょうか。
人は集まって社会を形成する存在なので、その社会に属す限りどうしても規則やきまりに従わなければなりません。
そのようなことを身につけた上で個性というものが問われることになります。
この一般性の上に独自性が立てられていると、出来上がってからは見えますが、しかし実際にはその途中できまりなどの一般性と自我が衝突しつつ独自性ができてきます。
この独自性は本人の中から生まれてくるのを待つしかないため、教えるということはできません。
このように考えると教師として子どもの個性を取り上げことが本当に困難であることがわかります。
さらに独自性は一人ひとりの自我とも関わってきますが、昨今の日本は働き方にしろ、考え方にしろ、少しずつ欧米型にシフトしてきているため、子どもの中にも父性原理に支えらえた自我を作ろうとする子もいれば、日本的自我を求める子もいて、それぞれが混ざり合った状態です。
そのため、どちらが正しいという二項対立で物事を考えるのではなく、まずは教師自身がどのような自我を持っているか認識するところから始めてみましょう。
日本と欧米の個性の考え方
個性の伸長を考えるとき、子ども一人ひとりを大切にし、その行動に注目して理解しようとすることは大いに役立ちます。
しかし、欧米であれば普通と考えられる個人主義的な生き方も、日本では利己主義と誤解されてしまうことは多々あります。
このように考えると「個性」についての捉え方が非常に難しいことがわかります。
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子どもの自我と個性について

子どもは10歳ごろに自我を体験し始めます。
それまで家族や仲間などとの一体感の中に生きてのに、何かの機会に「私」が他と切り離された唯一の存在として自覚され、不安や孤独感の中で、イライラしたり、無口になったり、チックなどの神経症状が出たりします。
そして個性が強い勢いで発現してくるとき、またその出口を求めて苦闘しているとき、一般に「悪」として認識されるような形でその姿を示すことが多くあります。
この時に、その意味を理解し暖かく見守ること、その現象の背後を考えることが教師には必要になります。
しかし悪であること、してはいけないことは明確に伝え、やめさせる毅然とした姿を示すこともまた大切になります。
教師として大切な心構え
最後になりましたが、私たちはこれからどのような心構えのもと、子どもの個性を尊重した教育を行えばよいのでしょうか。
教師と子どもの関係
教師はどうしても教えることが好きで、教育の育てる・育つの方を忘れがちになります。
そこで教育の「教」ではなく、「育」に注目してみましょう。
そうすると人間関係の大切さに改めて気づくはずです。
不思議なことに子どもは相手がどんな人か機敏に感じ取る力を持っています。
自分が受け入れられていると感じると、子どもはだんだんと自由に行動し出すため、自分の中の潜在的な可能性も生きはじめてきます。
教師が教育の「育」の方に気づき始めると、子どもたちが自発的に動くことがよくわかるはずです。
ただ、実際「教」ももちろん必要なので、「教」も「育」も考えるとなるとなかなか大変で、子どもに対してどのように接していいのかわからなくなることがあります。
教え込むことは良くないの?
でも自由を許しすぎるのも良くないような?
ここで、どちらがいいのかと二者択一で考えたり、どちらが正しいと決めつけるのは無意味なことが多く、単純にこれと方向づけできるほどこの仕事は簡単ではありません。
学級30〜40人に対して教える態度と、一人ひとりに対して心を開き相手を受け止める態度はきっと異なるでしょう。
ここで意識すべきは父性原理と母性原理です。
この2つの原理を自分の生き方の中でバランスさせていく、そのバランスのあり方を見極めていく。
このことを意識し、舵を取りながら自分の教育観を築いていくことが大切です。
児童文学から学ぶ
教育に関することは児童文学の中にもいろいろと取り上げられています。
児童文学からは教師と子どもの関係が学べるためおすすめです。
ここでは、人間関係のことを問題にし、特に教育の「育」に焦点を当てている作品を紹介します。
ぜひ参考にしてみてください。
自由と壁
自由を許しすぎるのも良くないようなと思われる方も多いはずです。
まさしく何も制限のない自由というものが子どもを成長させるわけではありません。
逆説的ですが、人は明確な制限があってこそ、自由を体験することができる生き物です。
また、人はある一定の枠を求めます。
特に思春期の子どもたちは、人間のサナギの時期のようなもので、自分という硬い殻に閉じこもります。
しかし、内面では大きな変化をしており、その変化が外に表出されることで、時に無茶苦茶な行動をし、自分でもどうしようもなくエスカレートしていくことがあります。
この時、自由を許してやろうなんていうのは考えてはいけません。
誰かがピッタリと止めてあげないといけません。
生半可な態度にはならず、ここからは絶対にダメだという線を確実に示すのです。
このキッパリとした態度が思春期の子どもたちの枠になります。
ただしこの態度は子どもの心への理解があってこそです。
心を理解しようとせず厳しく接すると、子どもは離れていき、心を開かなくなってしまいます。
このように考えると、学校に校則が必要なことはわかると思います。
しかし、それは子どもを束縛するものではなく、自由に行動できる容器としての役割をしているということは認識しておきましょう。
個を育てる授業
学校生活の大半の時間を占めるのが授業です。
やはり、個を大切にする、個を育てる上で授業の役割は大きいです。
一般的に授業をするとき、教師は流れを考えます。
この内容を教えるために、この時間配分で、この筋道でいこうと決めて実際に行う。
ところが、皆さんも経験があると思いますが、授業を始めると色々と意外なことが起こります。
この時に授業の流れに囚われていると、子どもの思わない反応にイライラしたり、自分の思っているものばかり取り扱ってしまったりしてしまいます。
しかし、自分の作った授業と子どもたちの反応とのせめぎ合いの中で、新しいものが生み出されるという考えに立つと、その過程がとても面白いものになります。
ここで大切なことは
子どもの失敗・誤答を大切にすることです。
失敗や誤答を許容すること、その誤答から展開が生まれる流れに持っていくことは、全員が参加する授業に多く見られます。
日本人はどうしてもみんなの前で間違うことを気にする傾向があります。
できる子のみが活躍する授業で、沈黙している子が楽しいはずないですよね。
誤答や突拍子もない質問も上手く取り上げながら授業に生かしていく。
するとたとえ同じ内容を授業していても同じ授業になることはありません。
教師が教えることに熱心になりすぎて、子どもの失敗を早く正しい方向に向けようとしたり、失敗を否定して正解を押し付けたりすることなく、落ち着いて一旦受け入れる態度を養っていきましょう。
ポイント
これは勉強だけではありません。
子どもが良くない行為をした時にも、その子の視点に立って、ゆっくりと考えてみる。
教師は教える人としての視点のみではなく、子どもの視点や時には保護者の視点など、さまざまな視点から見ることによってある現象の意味を探り、解決の道を考え出すことが必要です。
終わりに
以上、それぞれの観点から、臨床教育学の考え方について学んできました。
ここに書かれていることは一朝一夕でできるものではなく、日々意識し年数を重ねることで身についていきます。
この姿勢や態度が身についていくと、きっと子どもたちとの関係性や育ち方はぐんと良くなっていくはずです。
日々大変な現場ではありますが、日本の将来を担う子どもたちのため、ともに頑張っていきましょう。